神頼みも効率化の時代

毎年恒例の初詣

平成27年の幕開け。近所のお寺に初詣に行きました。

 

「近所のお寺」というと”小さな社で小じんまり”と想像されるかもしれませんが、オッサンの近所のお寺は、日蓮聖人が入滅した日蓮宗の大本山「池上本門寺」でございます。

 

境内では各種コンサートやイベント等、本業以外も積極的に展開しているマルチ方面にもに明るいお寺でございます。きれいなホームページも運営しているのでご興味のある方はどうぞ!池上本門寺のホームページはこちらからどぞ

 

 

全国的にも有名らしく、境内には国指定重要文化財の五重塔をはじめ、各種文化財の数々のほか、かの力道山の墓所もあるありがたい寺院でございます。

 

 

しかしながら、このオッサンは宗教に全く興味がなく、池上本門寺に行く時といえば初詣の他は、きれいな公衆便所を借りるくらいと罰当たりな輩でございます。

 

まぁ、初詣などのイベント時には人が多く集まるのでさすがは全国区!と思うのですが、普段は人もまばらな普通にしけた寺院という印象しか持ち合わせていません。

 

 

そんな罰当たりなオッサンでも、毎年の初詣は何かを期待してお参りに行くわけです。

 

多くの日本人がそうであるように、宗教や思想の垣根を軽々超えて、その時々のイベントを楽しむのです。

 

 

いつもの様に前置きが長くなりましたが、今年も初詣に行ってきました。

 

オッサンは初詣と言っても、お賽銭を投げて神頼みをするだけではありません。特別ご祈祷をしてもらいます。(祈願料は3,000円以上なのでもちろん3000円で!)

 

歳によっては大枚1万円を払って特別ご祈祷&福椀(以前は「祝膳」といっていたような・・・)をすることもあります。

 

 

まぁ、今年は特別ご祈祷だけでしたが。

 

オッサン的にはお賽銭で手軽に神頼みでも構わないのですが、初詣には妻の両親と一緒にお参りするので付き合いでご祈祷までとなります。

神頼みも効率化になったもんだ

いつものように前年にお世話になった御札やお守りなどを持って、歩いて池上本門寺へ。

 

本門寺周りには参拝者の車渋滞が出来あがり、境内にはいつもとは比べものにならない人だかりと濃い線香臭さが漂ってきます。

 

 

持ってきた御札等は、燃えるゴミとして処分するにはなんか怖いので「お焚き上げ」をしてもらいます。(お焚き上げ料:一回500円なり〜)

 

例年お焚き上げの受付は、本殿のある境内ではなく地味な客殿・寺務所の方で受付をしていたのですが、今年は境内の日朝堂とやらでやっていました。遠くまで歩かないくて済むので助かります。

 

以前、日朝堂ではハトの餌が売っていたけど、もうやっていないんだね。子どもが小さい時はよくここでハトの餌を買ったっけ・・・しみじみと思い出にふけるオッサンなのでした。

 

 

昨年お世話になった御札・お守りとお別れをし、特別ご祈祷の受付のために本殿へ移動。

 

 

初詣のメインステージである本殿は思ったよりも混んでいませんでした。

 

特別ご祈祷の受付の前に軽くお賽銭でお参りをしようと、5円玉を握りしめて賽銭箱の正面で順番待ちをする。

 

すると、オッサンの前にいたババァの願い事が長いこと長いこと・・・10円以下のお賽銭(ババァのお賽銭が銀色に光っていなかったのは確認済み)でどんだけお願いするんだ!?

 

仏様も割に合わないもんだ・・・

 

 

投げ賽銭の方は比較的空いていたのですが、特別ご祈祷の方は、受付するのに大堂の建物の外にまで行列ができている。小銭で済ませるより、多少の出費をしてごご利益にあずかりたいという心理なのでしょう。まぁ、これはme tooなわけですがね!

 

 

受付票を書いていると、ふとある札が目につきました。「昨年の受付票を持っている方は、こちらから優先して受付ができます」といった趣旨の札が立っている。

 

ん?昨年の受付票?

 

あの領収証のことか!そういえば、一昨日の大掃除で捨てたやつだ。

 

オッサン的には「何でこんな領収証が一年間もとってあるんだ?」と捨ててしまったのですが、捨てた時に妻からイヤミを言われた。

 

”この事だったんだ”と気づいてもいまさら遅い。

 

 

反省しながら行列に並ぶこと約30分。受付を済ませ、大堂の座敷に座りながら自分の名前が呼ばれるのを待つ。

 

 

池上本門寺の特別ご祈祷は、お坊さんが読経しながら個人や会社の名前とともに願いを読み上げるシステムだ。

 

願い事といっても「身体健全」や「商売繁盛」など決まった文言の選択肢から2つを選んで唱えてもらうものだ。

 

 

お経の意味はよくわからないので、その様子をボ〜っと眺めていると、いつもと違うあることに気づく。

 

読経しているお坊さんが二人いる!例年は一人でお経と願い事を読みあげているが、今年はダブル坊主がやっている。

 

読経はデュエット、願い事の読みあげはソロだ。

 

 

確かに一人で全てをやるのは大変だなぁ〜と毎年思っていたが、それも修行のうちだと密かにお坊さんにエールを送っていた。

 

まぁ一人よりも二人のほうがありがたみが倍増かもしれない。

 

 

読経が終わると願い事とともに各人の名前を読みあげるのだが、今年はその数がものすごく多い。

 

一回に読みあげる名前が50以上はあっただろう。例年はこの半分くらいだった気がする。

 

一回の読経って時間かかるから、効率化のために混んでいるときはこうなるのだろうか・・・

 

 

 

お経リズムで名前をよみあげるので、よく聞いていないと自分の名前が呼ばれたのに気がつかない。

 

やっと自分の名前を聞き取り、お札と落雁の入った箱を受け取り、大堂の奥へ移動。

 

 

普段は入れない大伽藍の内部は、鉄筋コンクリート造の近代的な建物だったりして、見た目とのギャップが面白い。

 

 

少し小さい部屋(と言っても30畳以上はあると思う)の中で、お客さんがズラリと並んで座り、別のお坊さんが読経のあとに一人ひとりの背中をありがたそうな巻物でポンポンと叩いていく。

 

重量感のある巻物で叩かれると、40肩のオッサンにはちょうど心地よい感触で、体に取り付いていた悪いモノが追い出された感じでスッキする。いと有難きかな!

 

 

ここも例年に無く、坊さんが二人でやっていて、手分けして背中をポンポンやっているのだ。

 

お祓い(?)を終えると「お守り」を手渡してくれる。このお守りは、オッサンの財布にいつも入れていて、「今年もよろしくお願いします」と財布にしまいこんだ。

 

この部屋を退出する前に「おとそ」と「昆布」をもらう。おとそは甘くて口当たりがよく、結構美味しい。大量に飲んだら悪酔いしそうだ。

 

昆布をニチャニチャ噛みながら今年の初詣は終了した。

 

 

以前、川崎大師へ行き、電光掲示板の表示やシステム化された運営に幻滅した。

 

今年の池上本門寺も川崎大師ほどでないにせよ、お坊さん二人体制の分業化や効率的な運営をみてしまい「あ〜こっちもありがたみが無くなったなぁ」と少々落胆してしまいました。

 

お寺側も参拝客が多い時は、待たせないように効率的に捌かなくてはならない事情もあると思いますが、ベルトコンベア式の運営には疑問を持ってしまいます。

 

 

神事にはある程度の手間暇はつきものです。地獄の沙汰も金次第といいますが、仏神事も金に流されてないようにしてほしいものです。

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